ナイロン100℃「百年の秘密」@本多劇場

2012/05/20(日) マチネ(東京千秋楽)

やー完成度高く素晴らしかったー満足! うむ、ナイロン100℃の集大成と言われるのも納得。繊細緻密な脚本演出、キャストの表現力、映像効果や舞台機構の使い方、耳に残るオルゴールとあの歌。そしてオープニングタイトルの見せ方が今回もまた進化。本当に三時間半が長く感じなかった。至福。

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セットは一見大きな洋館のリビングルームで、奥に階段やいくつかのドア。その中央には大きな楡の木がそびえ立っている。床面には芝。上手と下手にはおそらく人の出ハケに使われる大きな亀裂。ここに後ほど下手側にソファやテーブルのリビングセット、上手側にはガーデンテーブルセットが置かれる。つまり「ベイカー家のリビングルーム」と「その広い庭」が融合したような舞台美術になっているのだ。物語も、このリビングルームと庭を舞台にして語られていく。

イカー家の娘・ティルダ(犬山犬子)とその友人・コナ(峯村リエ)を中心に、彼女たちに関わる人々の人生が描かれる。ふたりが出会った12歳、結婚して子どもも出来た38歳、そしてその10年後、さらにふたりの子供たちが初老を迎え孫と暮らす時代、休憩を挟んで、時計を巻き戻しふたりが50を過ぎた頃、さらに遡り24歳の頃、そしてまた時計をすすめて晩年……といったように、時空を超えて「ある日のある瞬間」が切り取られる(さらにその合間に12歳の時の回想が挟まれてくる)。

ティルダは幼いころ兄・エース(大倉孝二)の友人・カレル(萩原聖人)に憧れを抱いていたが、次の38歳の場面ではカレルはコナと結婚し、ティルダは隣人の弁護士・ブラックウッド(山西惇)と結婚している。描かれなかった時間の間に何があったのか、そしてそれぞれの抱える小さな(あるいは時に重大な)秘密が少しずつ明らかになっていき、ぐいぐいと観る者を惹きつけていく。

経済的に逼迫し没落しつつある状況のなかにもかすかな希望が見えたり、明るい未来しか見えないような幸せな場面のなかにも不穏な影が見え隠れして、「禍福は糾える縄の如し」なんて言葉が脳裏をかすめる。楡の木の模様もまるで縄のようだ。登場人物も善良なだけの人もいなければ悪意だけの人もいない。それぞれどこにでもいるような平凡な人物で、でも多かれ少なかれそれぞれの闇を抱えている。そして描かれた場面と描かれなかった時間のさじ加減。そう、この作品はすべてにおいてこの「さじ加減」が素晴らしかった。多くの登場人物を配した上に時空が行ったり来たりするという構成でありながら、決して物語が難解になることもなく明快であり、そして過剰に語り過ぎないことで観客に委ねてくれる、そのバランスが完璧だった。

3時間半という上演時間で、100年にわたって描かれる一家の大河ドラマ。ハッピーエンドでもバッドエンドでもなく、ただ人の営みは続いていく。見終えた後には長い長い物語を見た気持ちになるが、それでも上演時間の長さは苦痛ではなかった。そして終演後も「描かれなかった時間」に思いを馳せ、「どうしてあそこでああなったのか」「あの時の彼女はどんな気持ちでいたのか」などと想像したり勝手に物語を補完したりしてしまう。長い長い余韻に、今も浸ってる感じだ。