コクーン歌舞伎「天日坊」@シアターコクーン

「天日坊見たよ! 震えたよ! 久々に文化村で祭りを見たよ! 千秋楽のチケット取らなかったのマジ後悔だよ! 松本公演行きたいよ! うああああー(ぜえぜえ)」

……と、終演後いきなりツイッターに書き込むほどの大興奮。そう、「三人吉三」や「夏祭浪花鑑」を見た時の興奮を思い出すような、客席の熱量だった。3時間半の上演時間がまったく長く感じない、それどころか終演後すぐに「もう一回見たい」と思うような舞台で、帰路でチケットweb松竹の残席を確認する有様。ドラマティックで笑えて切なくて、ラストは高揚感と切なさと感動が一気に押し寄せてくるような舞台だった。

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まずはざっくり概要。原作は河竹黙阿弥1854年の作品「五十三次天日坊」、これを実に145年ぶりの上演。フツーに上演すると二日がかりになるという長さの作品を、コクーン歌舞伎初参加となる宮藤官九郎が脚色して、おなじみ串田和美が演出するという舞台。

ざっくりとあらすじ。孤児の法策(勘九郎)は善良で素朴な小坊主。でも目の前にぶら下がった将軍頼朝の落胤の「お墨付き」に目が眩んで、おさん婆さん(亀蔵)を殺してしまう。お墨付きを手に入れご落胤になりすまして鎌倉を目指す法策は、旅の途中で盗賊地雷太郎(獅童)とその妻お六(七之助)と出会い、腕のアザから「頼朝公のご落胤」ではなく実は「木曽義仲の子」であると発覚。お墨付きを手に鎌倉に乗り込んでみると、そこにいた幕府の役人大江廣元(白井晃)は法策が兄と慕っていた下男の久助で…。

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出演は襲名したばかりの勘九郎くんをはじめ七之助くん、獅童さんといった若手中心の座組。これまでコクーン歌舞伎常連だった勘三郎さんをはじめ橋之助さんも福助さんも弥十郎さんも笹野高史さんも出てこない。とはいえ白井晃さんや真那胡敬二さん、大人計画近藤公園さんなど歌舞伎界以外の役者さんも複数登場するとこは気になった。まあでも私の周囲の前評判としては「クドカンの『大江戸りびんぐでっど』はいまひとつ煮え切らなかったしなあ」「勘三郎さんも出ないし『若手公演』な感は否めないよねえ」「とはいえクドカンの脚色は定評があるし黙阿弥作品とは相性が良さそう」「案外クドカン本人が演出するより串田さんの手が入ったほうが面白くなるんじゃないのか」といった感じで、まさに期待半分不安半分だった。

それがどうだ、蓋を開けてみたら全てが良い方に転んでいるじゃないか。勘九郎さんはもはやお父さんに負けないくらいの哀愁と愛嬌と気迫と貫禄で観客を魅了し、七之助くんもものすごい色気と貫禄と迫力。亀蔵さんのコメディセンスといい、歌舞伎俳優とアウェイで対等に渡り合う白井晃さんの迫力といい。それはもうベテラン勢が出てないことを忘れるくらいの役者の厚みだった。

脚本もいい。所々クドカンらしい台詞や遊びもあったが、ベースはしっかり「黙阿弥」調。「か弱い女性にみせかけて実はべらんめえな女盗賊なお六」なんていかにも黙阿弥っぽいし、七五調の台詞も、「○○、実は××」もてんこ盛り。脚色にあたって法策以外の物語をばっさり切り落とし、「法策の自分探し」の物語に仕立てて現代的なテーマの深みをもたせたのも成功してた。
「マジかよ!」って台詞が何回か出てきて、「こんな現代的な台詞も…」みたいな感じでニュース記事とかに取り上げられてたけど、この「マジかよ」が出るのは黙阿弥によくある「○○は実は××!」が発覚した瞬間。観客が思わず「そんな都合のいい話が…」と心の中でツッコミを入れたくなる場面で、先手を打って法策がツッコミをいれてくれるので、「都合の良い展開」がネタとして昇華されるという塩梅。

そしてなんといっても串田さんの演出だ。コクーン歌舞伎がはじまって18年間、歌舞伎ととっくみあってきたからこそできた大胆な演出だったんじゃないのかな、と思う。下座音楽は使わず、音楽はトランペット中心で打楽器とギターという編成だったけど、「音楽の入るタイミング」が下座音楽と一緒なのだ。歌舞伎を見なれた人間には生理的に気持ちのいいタイミングで音が入ってきてゾクゾクする。
美術は舞台の上に大小の小屋2つをおいて、それを入れ替えながら場面転換していく。小屋の背景には串田さんの絵による背景幕がかかっているのだけど、そこに「観音院旅宿の場」「大江屋敷詮議の場」など場面タイトルも書かれ、その横には「人丸お六、実は木曽の余類かけはし」といった具合にその場面で描かれる重要なポイントが書かれていて(ある意味ネタバレではあるが)非常にわかりやすい。七五調の台詞で歌うように流されてしまうと歌舞伎に耳慣れない人にはわかりづらいところもあるはずなんだけど、この背景の解説で「ここがどこか」と「登場人物の名前」と「この場はこういう話ですよ」がちゃんとインプットされる仕組み。親切!

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物語の展開も面白かったが、なんといっても圧巻だったのはラストの大立ち回り。最初は歌舞伎定番の型通りの殺陣なのだけど、途中で音楽のテンポが上がり立ち回りもスピードアップ。歌舞伎というよりは新感線で良く見るようなタイプに近い殺陣なので、新感線ファンの誰もが「殺陣師は誰!」とパンフレットのクレジットを確認して「ああやはりアクションクラブの田尻さんと前田さん!」と納得していたのではないかと。そんな中、刀を振るいながらも「なんでこんなことになってしまったのか」と受け入れられない気持ちと絶望が交錯する法策の表情といったら。それはもう胸がしめつけられそうな切なさだった。

そして風のように舞台に吹きこんできて、燃え尽きる寸前の炎のように激しく刀を振るう七之助さんの速さと美しさよ! この瞬間、客席のあちこちから声があがってた。キャーって歓声でなく「ぁっ」とか「ふゎっ」とか、「思わず漏れた」みたいな種類の声が。そう、舞台に現れる時の早さといい、振り乱した髪や着物の裾まで含めたフォルムの美しさといい、そしてラスト小鳥が撃たれたように顔から前のめりに勢い良く倒れる様といい。「義賢最期」の「仏倒れ」をものすごいスピード感で見せる感じというか。それはもう鮮烈な印象を残す見事な死に様だった。

かつて「三人吉三」では見たこともない量の大量の紙吹雪を降らし、「夏祭浪花鑑」では搬入口にパトカーを登場させて観客を驚かせたけれど。今回はそういうケレン的なサプライズは無かった。ゆっくりと迫り来る黒い壁に、行き場を失った法策の孤独な心象風景を重ねていた程度だ。だけど役者の生身の肉体と表情だけで「三人吉三」「夏祭」に負けずとも劣らない興奮と感動を呼んでいたのが印象的だった。それは若いからこそできるスピード感のある立ち回りであり、「歌舞伎の型」ではない現代劇的なリアルな役者の表情によるものだったと思う。

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カーテンコールでスタンディングオベーション喝采を浴びる勘九郎くんを見ながら、「ああこれで名実共に勘九郎襲名だね」とそんなことを思った。ツイッターでも同じような主旨のコメントをいくつも見かけた。父親の芸をなぞるだけでなく、「新しい歌舞伎、新しい舞台を創る」という意味での「勘九郎スピリッツ」の襲名だったんだなあと。
そして「コクーン歌舞伎はいよいよこれで第二章に入ったんだな」とも。父親の現勘三郎さんが周囲の猛反発の中で立ち上げた「コクーン歌舞伎」という新しいジャンル。ある程度定着してきたその手法を、さらに今の勘九郎くん(そして七之助くん獅童さんといった子どもたちの世代)が、次の段階へ押し上げたのだ。これはそんな舞台だったと思う。

「人の名前を借りることで本当の自分を見失っていく法策」の物語で、勘九郎くんは「父親から受け継いだ名前の重さに足る実力を、この舞台で観客に納得させた」というのが、ちょっとおもしろいなあ、と思った。そして、チケットの売れ行きも開幕前は売り切れの日が少ないなあ、という感じだったけれど、気が付けば満席どころか立見も出る大盛況。それはもう、勘九郎ファンとしては色んな意味で胸が熱くなるのを禁じ得ないカーテンコールだった。

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あとは覚え書き的に面白かったシーンを列挙。感想というよりメモ書き。

・オープニングの化け猫退治。時貞は「遅刻! ただの遅刻! 遅れるに刻むと書いて遅刻!」「天ニャチ坊? ニャン日坊? ニャンニャチ坊?」

・観音院旅宿の場。あれもこれもと欲望を口にするうちに台詞が混乱する観音院に法策「観音院さま、欲望が渋滞を起こしておられます」

・二幕、北條家元船の場。時貞(巳之助)と高窓太夫(新悟)の大和屋カップルの頭悪そうなラブラブっぷりがおかしい。時貞は自分のこと時貞って言うんだよ、おかしいね、時貞。このふたりもまさに三津五郎さんと弥十郎さんの「子どもたち」世代なんだよね。こんなに印象に残る役も初めてじゃなかろうか。

・盗賊・赤星大八(亀蔵)の住処にて。「こんな夜中に誰だァ!」「俺だ!」「俺って誰だよ俺が俺だよオメェは誰だよ!」(←ヤンキー口調)/「(地雷太郎&お六)世話ンなるぜー!」(←凄むヤンキー口調)/「こんな夜中に誰だァ!」「(法策が)旅の者です」「あ、素直」→着替えを渡そうとして法策に着物を乱暴に投げつける赤星ヒドイ

・カッコ良かった場面1。法策の自分語りにギターで奏でられるブルースな曲がつけられてるところ(歌舞伎なら三味線だよね)。語り終えると同時に曲も締まる。いいわー。

・カッコ良かった場面2。法策、お六、地雷太郎、赤星の4人が見栄を切り、背景幕の朝日が音楽に乗せて昇っていく場面。ああこれぞ歌舞伎!な絵。

・大江屋敷詮議の場。久助が大江廣元としった法策の「大江廣元は騙せても、久助の兄者は騙せねえ…」の台詞が切ない。根っからの悪人だったわけじゃないんだよね、法策。

・ラストの立ち回りの時、刃に倒れた法策のところに地雷太郎がかけよる場面があって、ここもちょっと涙。冒頭の場面で法策は、「久助の兄者には遠方から訪ねてくれる友がいて羨ましい、私は孤児でそんな友もいなければ自分が何者かもわからない」というような台詞を言ってるんだよね。それがたくさんの捕手の中、傷つきながらも駆けつけてくれる友だちが法策にはできたんだね…と思うと…。

天日坊特集ページ
シアターコクーン http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/12_kabuki/index.html
まつもと大歌舞伎 http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/ookabuki/