野田地図「MIWA」@東京芸術劇場

※以下、大きなネタバレはないかと思いますが、先入観無しで見たい方は読まない方がいいかなーと思います。まだ公演はじまったばかりですし。

 野田秀樹さんが美輪明宏さんをモチーフにするという新作。この世に生まれ落ちる前の“前世”から始まって、新生児期、幼児期、少年期を経て、青年期を中心に、野田さんから見た「美輪明宏」が描かれている。美輪明宏=丸山臣吾を演じるのは少年姿の宮沢りえちゃん。りえちゃんの演じる臣吾は「男でも女でもない生き物」。そして生まれ落ちる時に、男と女の両方を兼ね備えた両性具有のアンドロギュヌス(=古田新太)を一緒に連れてきてしまい、心のなかに住まわせるようになる。この古田さんが金髪の長髪で、派手派手しいドレスの上半身に蛇が絡みついてるように見える「怪物」じみた衣裳。今の「美輪明宏」を思わせるスタイリング。なるほど、「美輪明宏」という人物を、この美しい「丸山臣吾少年=宮沢りえ」と怪物じみた「アンドロギュヌス(安藤牛乳)=古田新太」のふたりに分けて描くのか、と冒頭部分のつかみはなかなか面白かった。


 美輪さんが子どものころに長崎で原爆後の風景を見たこと、前世は天草四郎だと思ってること、進駐軍の前で歌ったこと、シャンソン喫茶で歌手になり「メケ・メケ」をヒットさせたこと、映画スターの赤絃繋一郎(あかいとけいいちろう=赤木圭一郎がモデル)と恋に落ちるけど、繋一郎はゴーカート事故で死んでしまうこと、臣吾のファンだと言う作家・オスカワアイドル(三島由紀夫がモデル)が登場、など、割と美輪さんの実際のエピソードに沿って展開していく。

 正直に言うと、冒頭の設定で引きこまれたにもかかわらず、中盤から終盤にかけてだんだん冷めてしまった。理由は「歌」が口パクの演出になってしまったことだった。たしかに「美輪明宏」の歌を他の役者に歌わせるのは難しいのは解るんだけれども、本物の「美輪明宏」の歌がテープで聞こえてきて、それにりえちゃんが口パクで演じる、という演出は無しだ。たとえ本物にかなわなくても「役者が本気で歌ってる姿」が見たい、そうでなくどうしても「美輪明宏」の歌を使いたいなら、役者がそこに口を合わせるという演出はしないほうが良かったと、個人的には思う。どうしたって「本物」の歌のほうがドラマチックであり、それを演じている役者をとたんに「本物じゃない何か」にしてしまい、悪く言うと安っぽい作り物を見てる気分にさせてしまうのだ。

 もうこうなるとあとは「じゃあどうしたら自分は満足したのか」を考えはじめてしまって、舞台に集中できなくなってしまった。アレを歌いこなせるとしたら大竹しのぶさんあたりかなあ。でも少年期の美しさを演じるとしたらそりゃあ大竹さんよりはりえちゃんのほうが適役だしなあ、とかつらつら考えてた。ふとアンドロギュヌス役を三上博史さんがやって、実際にあの歌を歌わせたら面白かったんじゃないかと思いつき、「あ、そうかこれってヘドウィグ・アンド・アングリーインチと似た構造の話なんだな」と思い至った。両性具有の化物、過剰なメイクによる装飾、魂の片割れ探し=愛の探求。そう思い始めて三上さんの歌う「愛の讃歌」を想像して「あ、これイイなあ」と思い始めた瞬間、りえちゃん=臣吾が水色のアイシャドーと口紅べったり塗って金髪ウィッグ付けて安藤牛乳の衣裳を付けてドラァグクイーンみたいになったものだから、気持ちが「もう!ヘドウィグじゃん!ヘドウィグじゃんコレ!」ってなっちゃって、自分の中でこの作品に付けられたタイトルが「MIWA」じゃなくて「贋作・ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」に落ち着いてしまった。はあ、そんな感想ですみません。

 まあヘドウィグを一旦忘れることにしても、正直なところ「美輪さんの人生の一部分を描きました」というところに落ち着いてしまって、もう少し広がりが欲しかったなあ、もっと別の断面や別の視点が欲しかったなあという物足りなさは感じた。やっぱりこの辺はヘテロセクシュアルな作家・演出家じゃなくて、自身も同性愛者っていう演出家に描いて欲しかった気がしなくもない。臣吾をりえちゃんが演じることで恋愛感情が全て同性愛じゃなくて異性愛になっちゃうから、なーんか「そうじゃない感」がつきまとう。もちろんノンケな観客視点でみればマイルドな演出でいいんだろうけども。もっと想像を超えた化物感というか、過剰な美意識とか、私はその辺を期待してたんだろうなーと思いました。あと、美輪サマが「オーラが見える」というスピリチュアルな方面の能力についてはほとんど言及されていないので、たぶん野田さんもその方面については懐疑的なのかなあと思ったり。ただ演劇であれば本人の妄想であれ「見える」ことにしてしまうのはアリだし、どうせなら原爆と島原の乱についてもうちょっと広げて美輪サマの「見える」力を舞台のイメージに活用するのはアリなんじゃないかなーとも思いました。(天草四郎とか言われた瞬間にこちらの脳内には新感線の「SHIROH」における島原の悲劇がぶわーっと広がってるわけで……)

 最後に、私の「美輪明宏」イメージについて少し。私は美輪サマの信奉者でもないし、だからといって「なんかスピリチュアルでうさんくさい変人」とディスってるわけでもないです。ただ過去の「美少年」だった頃の美輪サマをリアルタイムで知らないので、第一印象が「不思議なビジュアルのおじさん」でした、正直なところ。最初に見たのが「黒蜥蜴」の舞台だったかなあ、もう美輪サマが60くらいの頃だったと思うので、観客のほとんどが「はあ、キレイねえ」なんてため息ついてるのに正直ついていけなかった。ゲイゲイしい派手な美術の中にいる女装のおじさん、という印象だったのだ(すみません)。年老い女形の歌舞伎俳優見てても「全然キレイじゃないよ、おじいちゃんだよ…」と思ってしまうことはあるんだけど。いや、もちろん全盛期を見ていれば「キレイねえ」ってその延長で思えるんだろうことは想像が付く。私だって玉三郎さんや菊之助くん七之助くんがこの先老いた時も「キレイねえ」って言い続けるんだろうと思うから。だけど私が最初に見た美輪サマはすでにおじさんで、ゲイ文化になじみがなかった田舎育ちの田舎娘には、美輪サマが監修したという美術も「過剰にゴテゴテした行き過ぎの装飾」にしか見えなかった。今ならもうちょっと違う見方もできたんだろうけど。スピリチュアル方面はまったくもって興味の対象外ではあるけれど、それでも去年の紅白歌合戦で「ヨイトマケの唄」を「うわあ本物の迫力は違うなあ」と思いながらがっつり見入りました。パフォーマーとしては天才で、一種の「怪物」「化物」だなーとは思っています。それは褒め言葉として「普通の人間ではない」「ある種の天才」という意味合いで上の文章中でも使っています。白石加代子さんとか藤原竜也くんとかの舞台を見た時に感じるアレですね……って、ちょっと伝わりづらいか。まあそんなイメージなので、野田さんの「MIWA」はもうちょっと「化物感」「怪物感」が欲しかった、想像を超えたところまでは行けなかった、というのが個人的な感想であります。この舞台の感想については各々の「美輪明宏イメージ」によっても変わってくるんだろうなーと思っています。

NODA・MAP 第18回公演「MIWA」
何が起こる?何かが起こる!?"NODA meets MIWA"

「今、まさにこの世を生きる実在の人物をモチーフに新作を描くこと」
この秋、東京芸術劇場プレイハウスで野田秀樹が手がける新作公演は、"MIWA"こと[美輪明宏]さんの波乱の人生の物語。
多面的な才能でいつの時代にも、人々を魅了し続けてきた美輪明宏は、まさに"生ける伝説"。国民的知名度を誇るこの人物をモチーフに、野田秀樹が豪華役者陣と共にオリジナルストーリーとして描き出します。
斬新なアイデアと未曾有の結末で、期待以上の興奮と感動を観客に披露してきた野田秀樹による、真贋さえも予測のつかない[美輪明宏物語]。どうぞご期待ください。

2013年10月04日 (金) 〜2013年11月24日 (日)
作・演出:野田秀樹
美術:堀尾幸男、照明:小川 幾雄、衣裳:ひびのこづえ、選曲・効果:高都幸男、振付:木佐貫邦子、映像:奥秀太郎、美粧:柘植伊佐夫、舞台監督:瀬崎将孝
出演:宮沢りえ 瑛太 井上真央 小出恵介 浦井健治 青木さやか 池田成志 野田秀樹 古田新太ほか