イキウメ「片鱗」@青山円形劇場

前川さんの作品は「抜け穴の会議室」(2007、2010)「現代能楽集II 奇ッ怪 其ノ弐」(2011)あたりを見たのかな。あと小説で「散歩する侵略者」を読んだ程度か。つまりイキウメの劇団公演を見るのはこれが初めて。かなり前から評判がいいのは聞いていたけど、見るタイミングを逃し続けてて、ようやく今回が初見です。

で、今回の作品はある住宅地の一角で住人たちに起こる変化を描いたもの。黒い正方形の舞台を4つ、青山円形劇場の中央部分に配置し、十字路の通路ができている。この4つを住宅街の十字路に見立て、それぞれの角に住む家族が登場する。ひとつは大河原家(高校生の息子とその両親)、そしてガーデンデザイナーの蘭(独身)、不動産で生計を立てるニート気味の男・佐久間。そこへ引っ越してきた安齋家の父娘。街ではときどき不審者を見かけるという噂があるものの、4世帯はホームパーティに集まるなど平和な付き合いを続けていた。それがあるきっかけから次第に崩壊しはじめて……という物語。

※この後ネタバレします。未見の方は注意。


ひとり異質な存在感を放っているのが手塚とおるさん。この舞台では誰の目にもうつらず、台詞もない。劇中の言葉を借りると「呪い」としか言いようがないけれど、彼に関する論理的な説明は一切無く、パンフレットにもただ「男」とだけ表記されている。「何か」の象徴であることしかわからない。ただ黙ってニヤニヤしながらうろうろと歩き、部屋に水をこぼし、その水を登場人物に手でかけていく。するとその人物は壊れていく。「許さないぞ」「絶対に許さないからな」としか言わなくなり、やがて感情がピークに達したところで腰のあたりから水が吹き出す(劇中では他の人物に失禁したように扱われるけど、どちらかというと破水したような吹き出し方。水の性質はのちに蘭の恋人・日比野が調べたことから、「純水」であることがわかる)。その後は完全に心神喪失状態に陥り、最初に発症した佐久間は病院で自殺する。

蘭に片思いしていた佐久間は大河原と蘭の不倫関係を知っていたのでそれを許せなかった。さらにそのことを知った大河原の妻も、大河原や蘭に対する怒りで最終的に包丁を持ち出し壊れる。次いで大河原と蘭も「許さないからな」と崩壊の兆候が見え始める。その一方、大河原の息子・和夫と安齋の娘・忍は付き合い始め、身体の関係を持つ。また安齋の家の周辺から次第に植物が枯れ始め、蘭の商売道具である庭も大きな被害を受ける。日比野と大河原は安齋が来てから一連の変化が起こったと安齋を疑うが、安齋は「警察でもなんでも呼んだらいい、証拠なんて何も出てこない」と言う。どうやら安齋が意図してやっているものではなく、それらの変化は忍の生理が始まった頃から起こったものであり、どこへ行っても同じことが起こるためその地を終われ、転々としながら父娘が暮らしている原因であったようだ。

やがて忍は妊娠し、和夫ははじめ高校生だから育てられないと安齋に詫びるが、安齋に説教され思い直し父親になることを決める。そして忍は出産し、「それ」は生まれた子どもに引き継がれ、安齋と忍の父娘は子どもを和夫に託したまま姿を消す……というラスト。この場所での「それ」はいったん収束したものの、忍から生まれたその娘の生理が始まる十数年後にはまた同じことが始まることを予感させて、物語は終わる。

単純に物語だけでいえば、原因と結果の因果関係がはっきりしないためにザワザワする類の「怖い話」。戯曲で読むか映像でストーリーだけを追うと「もう一捻り欲しいな」と感じるような気がする。しかし劇場ではちゃんとその「一捻り」があるのだ。明らかに「人外の何か」である手塚とおるがウロウロと舞台のまわりや通路を歩き、客席の空席に座って舞台を眺める。周辺の観客の落ち着かなさたるや。もちろんそれがあくまで「何か」を演じてる役者であることなんて頭では解っているけれども、劇場の共有幻想の中では「人外の何か」が隣に座ってる状態のわけだから、「それ」が突然何をするのかわからないわけで。そして「向こう側」へ行ってしまった佐久間や大河原妻も、客席の通路を黙って静かに移動する。これが最後列や通路際の人間にとっては非常に落ち着かない。得体のしれないホラー劇が目の前で展開しているのに、背後を何かの気配が通り過ぎる気持ち悪さ。もうちょっとやめて怖いからこっち来んな、と思ってしまう。黙って通路際に立ってる時とかも視界の隅にちょっとだけ入るのがもう、ほんとイヤ。芝居が終わって最初にTwitterに投稿したのが「イキウメの片鱗を最後列で観たオラの緊張感がお前らにわかるか!(涙目で)」でしたから。TLで「最前列も通路際も最後列も全方位で怖い」ってのは誰かが書いていたのだけれど、まさにその通りの「劇場体感型ホラー」でした。円形劇場では毎度おなじみの天井ラップ音や、こどもの城からうっすら聞こえてくる子どものはしゃぎ声とかも、この芝居ではなんとも嫌な効果音。青山円形劇場の特性を存分に使い切った作品だと言えるのではないでしょうか……。

手塚さんはまあ本当に気持ち悪くて(注・褒め言葉)、冒頭や出産シーンでは人間の関節の可動範囲に挑戦したような気持ち悪い動きをするのですが。あのままあらぬ方向に関節を曲げたり関節のない場所で手足を曲げたりしても不思議じゃないくらいの勢いでしたよね。凄かった。ああいう動きやらせたらほんと手塚さんと松尾スズキさんの右に出る者はいない気がする。しかし客演なのに台詞がないとはなんという贅沢な使い方。

「それ」が来てしまったために平和な日常が突然脅かされる、「水」が原因でそこに住めなくなる、という状況は、意図してるかどうかはともかく、やはり震災と原発事故のことを思い起こさせます。たとえ自分に原因や責任がなくても、ある日突然平和な日々を奪われ住む家を追われる、ということが2年前の3月11日に起こったのを私たちはよく知ってる。この作品では一種の「呪い」「超常現象」として起こったことが決して絵空事ではない、というのが、なんとも言えない気持ちになりました。

あと印象に残ったのが、妊娠がわかった後で安齋父が和夫にいう言葉。台詞はうろ覚えなんだけれど、「まだ子どもだから赤ちゃんを育てられないと君は言うが、どうして自分を変えようとしない。忍はもう変わってしまった、今までと同じじゃないんだ。経済力が無いというなら働けばいい、まだ子どもだというなら大人になれ」。個人的にはすごくコレぐっときた。別に若い子の妊娠出産にかぎらず、これから父親になる全ての人に聞かせたい。女は妊娠出産で否応無しに身体の不調とホルモンバランスの変化にさらされるし、生活もすべて変えざるを得ないけど、男は酒やタバコも辞めたりしないもんね……夜中だって起きてくれないもんね……! と、なぜか産前産後の辛さを思い出して安齋父に「いいぞもっとやれ」って思ったりしました。女性作家があれを書くならともかく前川さんから出てきたとことにちょっと驚いたり。

1時間45分という短い上演時間で高い満足感を得られる内容だったし、前半は結構ユーモラスなやりとりも多くて笑える場面も多かった。特に大河原を演じた安井順平さんの軽妙な上手さ、いい。そして青山円形劇場の使い方も上手くて、このハコの素晴らしさも再認識。ほんとこのハコでしかできない演出、演劇体験ってあるんだよなあ。ここが無くなってしまうのは本当に切ない。なんとかならんものか。