いやあ、痺れた。痺れました。演出のひとつひとつがカッコイイわパンクだわセクシーだわセックスドラックロックンロールだわ、で、もうホント見てる間すごく幸せな興奮を感じていました。映像を多用した演出でありながら「舞台でしかできない演出」「生身の人間でないとできない表現」がキッチリ観られて、ああそうだ先日みた芝居で足りなかった物はコレだよ……!と比べるのも悪いけど腑に落ちたりもしましたね。
1996年にロベール・ルパージュの演出、毬谷友子・上杉祥三・明楽哲典の出演でこの作品を上演したのは見ていて、すごく面白かったことは覚えているのですが、どんな内容だったかはすっかり忘れていました。今回のこの吹越さん演出バージョンは2年前に初演で、観た方の評判がすこぶる良かったので、見逃したことを後悔しておりました。で、今回の再演はもう気合を入れて先行でチケットを確保したというわけです。
1989年、犯罪学者のデイヴィッド(吹越満)と小劇場の女優ルーシー(太田緑ロランス)は地下鉄の飛び込み事故の現場で出会う。ルーシーの隣人フランソワ(森山開次)はレストランでアルバイトをしている。フランソワはかつて1983年の女性大性暴行殺人事件の関係者としてポリグラフ(嘘発見器)を受けたことがあるが、その時テストを行ったのはデイヴィッドだった。ルーシーはその殺人事件をモチーフにした映画のオーディションに合格するが、フランソワが関係者だったと知って気が進まない。容疑が晴れていることを知らされていないフランソワは、次第に心を蝕まれドラッグに溺れていく。そんなフランソワを放っておけなくなったルーシーは彼と寝てしまい、デイヴィッドはそれを知ってフランソワに殴りかかって……といった展開。
脚本そのものはさほど情報量が多くないのだけど、時系列が行き来したり虚実入り乱れたりとコラージュ風に構成されているので、物語の全貌が見えるまではイメージの連鎖といった雰囲気の舞台。吹越さんもソロパフォーマーだし、森山さんはダンサーだし、で、ふたりとも身体の動きが抜群に美しくてセクシー。シルエットだけのシーンでもその身体の線の美しさに見入ってしまう。太田さんも冒頭から全裸にプロジェクションマッピングの映像投影という演出があって度肝抜かれましたね。終盤で全裸の3人がシルエットだけでパフォーマンスという演出もあってドキドキ。裸といえば18年前の上演の時もたしか明楽さんが全裸になってたなーとそんなことを思い出したりもしましたが、それはさておき。
吹越さんはソロアクトライブでの演出も見事だったんですが、この作品でもそこで培われたと思われる手法があちこちにあったような。映像トリック的な意味でも面白かったけど、やはりパフォーマーだからなんでしょうかね、俳優の身体性を強調するような見せ方も多くて、すごく良かったです。テレビでは2.5枚目くらいの線が多いような気がしますが、舞台でのあの動きの美しさ、ほんとセクシーでした。ダンサーの森山開次さん、セリフもしっかりしていて俳優としてもすごく上手い方なんだなあと思いました。野田さんの「BEE」における近藤良平さんとかもそうですが、優れたダンサーは演技も上手いんだなあ、と思ったりしましたね。毒と陰とある種の気持ち悪さと、人を惹きつける魅力が同時に存在するような、ヤバい雰囲気で実に舞台映えしてました。ゲイの相手にSMプレイを乞う場面のパフォーマンス、すごかったなあ。太田緑ロランスさんも大人の女性の雰囲気で良かったです。なにせ前述のふたりのインパクトに負けてないのがすごい。
そういえば18年前に観た時は「ベルリンの壁」のモチーフがもっと色濃かったような気がするんですが、そこが少し薄まったのかなあとちょっと思いました。それは演出のせいではなく、おそらく見てるコチラ側の意識の差なんでしょうけれど。再演を重ねている「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」とかもそうなんですが、最初に観た時はまだ「ちょっと前の出来事」だったベルリンの壁崩壊が、もうすっかり「過去の教科書の中の出来事」になってしまったんだなあと、そんなことを少し思ったりしました。
いやしかし映像化されてもたぶんほとんど伝わらないので、本当に「舞台で観るべき作品」だったような気がします。こういうのを観たくて劇場に通っているんだ、と再認識したような。時間が自由になるならもう一回リピートしたいです。役者さんも良かったけれど、美術や音楽や映像などのスタッフワークも素晴らしかったです。そういえば冒頭でちょっとハイバイの「霊感少女ヒドミ」と比較するようなことを書きましたが、どちらも映像はムーチョ村松さんなのですね。おやおや。
「ポリグラフ―嘘発見器―」
http://www.geigeki.jp/performance/theater066/
出演:森山開次、太田 緑 ロランス、吹越 満構想・脚本:マリー・ブラッサール/ロベール・ルパージュ
翻訳:松岡和子
演出:吹越 満
映像:ムーチョ村松
照明:佐藤 啓
音響:眞澤則子
音楽:鈴木羊
舞台監督:瀬粼将孝2012年、吹越満による新演出で上演され、視覚的に強いインパクトのある斬新な舞台が高い評判を得た。熱い再演希望の声に応えて、今秋、パリ公演を皮切りに同じキャストによる上演が遂に実現!男女3人の人間関係のミステリアスな展開を「身体」と「視覚」のトリックで描き、観客を美しい“迷宮”へと誘う。
※1996年に観た時のメモが残っていたのでここに転載しておきます。
1996年2月18日15時開演 楽日
東京芸術劇場小ホール2 指定席 最前列真ん中から観劇
作・演出 ロベール・ルパージュ、マリー・ブラッサール
翻訳 松岡和子
出演 毬谷友子、上杉祥三、明樂哲典【あらすじ】
所はカナダ、ケベック州。実際にあった婦女暴行殺人事件を題材にした映画に、女優ルーシー(毬谷)が主役として出演している。彼女の隣人フランソワ(明樂)は昔、その事件で容疑をかけられ、うそ発見器にかけられていた。結果は白なのにそれは被験者には告げられず、無実のフランソワはやがて自分が犯人ではないかと思い悩み始める。そのうそ発見器にかけた担当だったのが、ベルリンの壁を越えて亡命してきたドイツ人のペーター(上杉)。地下鉄での自殺事件をきっかけに、ペーターはルーシーと恋仲となり、フランソワと再会して...、というお話。【感想】
実際の事件と脚色された映画、虚と実、フランス語と英語(カナダですから)、西と東、生と死、男と女....「壁」を隔てて交錯するそれらの事象。三角関係。全編を通して刷り込まれる「血」のイメージ。そこへ絡んでくる「ハムレット」の台詞。そう言ったものがみごとに錯綜しながら、物語を象っているのですね。なんといってもすごいのは、三人の役者さん。それぞれの存在感も素晴らしいのですが、動きも美しい! セットには高さが2mほどの壁が使われているのですが、それをアメーバのように乗り越えて這い降りて来たりするわけです。鍛えてないとああは動けないだろうなぁ。さすが元JAC、さすが元遊眠社、さすが元宝塚。
もちろん、動きだけではなく、感情表現も見事です。うそ発見器にかけられたことをきっかけに壊れ始めたゲイのフランソワ。不安に苛まれている様子は真に迫り、それにゲイの相手に縛られベルトで打たれるという場面の一人芝居には、ちょっとドキドキ。色っぽかったっす。
犯罪学の専門家で、やっぱりどこか複雑そうな性格のペーター。その二人に関わることで成長してゆくルーシー。見事に感情が伝わってきて、目が離せませんでした。この役者のうち一人を観るだけでも、十分もとはとれるような充実度です。実際にうそ発見器にかけられたという作者の叫びが聞こえてきそうな作品。断片断片をつなぎ合わせたような構成も見事です。壁をスクリーン代わりに使ったり、壁から血を流したり、ルーシーのスリップにスライドを投射してまるで標本のようにみせたり、演出も凝ってました。
最後、壁が崩れて裸のフランソワ(本当に裸だ)が落ちてくるところではびっくり。そして台の上に横たわる彼にペーターがメスを入れ始めると、ハーフミラーに映っていたフランソワの姿が骸骨になる...というラストシーンにはゾクゾクして息が止まるかと思いました。途中で挟まれる「ハムレット」の台詞、"To be, or not to be"は、当然っちゃ当然なんだけど、松岡訳バージョンで「生きてとどまるか、死んでなくなるか」でしたね。普通は「生きるべきか死ぬべきか」になっちゃうとこなんだろうけども。昨年上演された蜷川演出のハムレットを思い出して、ちょっとニヤリ。
いやはや、それにしても3人の役者さんは素晴らしかった! 久しぶりに感動したお芝居です。もう一回観たーい!