「わたしは真悟」プレビュー公演@KAAT


出典:ステージナタリー

楳図かずおの漫画をミュージカル化。「ふーん今はやりの2.5次元なやつ?」と思いきや、キャストは門脇麦高畑充希・成河、演出はフィリップ・ドゥクフレ……って思いっきりガチなやつすぎて中身がまったく想像できない! となって、KAATで家から近いこともあり怖いもの見たさでチケットとってみました。まあ正直「イメージの断片みたいなやつになって難解パフォーミングアートのわけわかんないやつにならない……?」という不安もあったのですが。念のため原作を読んでおいたこともあってあまり置いてけぼりにならずにすみました。結論を言うと面白かったです。
あらすじ。小学生の悟と真鈴(まりん)は、工場にしのびこんではロボットアームにあらゆる情報を入力し覚えさせていた。ふたりはお互いを思い合っていたけれど、真鈴がロンドンに引っ越すことになり別れの日が近づく。ふたりは結婚の約束をし、こどもの作り方をロボットにたずねる。その回答「333ノテッペンカラトビウツレ」を見て東京タワーにのぼりてっぺんから飛び降りる。その瞬間ロボットアームは自我に目覚め、自分を悟と真鈴の子ども「真悟」だと思い込む。真鈴は記憶を失ってロンドンの病院で目覚める。真悟は悟のメッセージを真鈴に伝えるため、船に乗り、ありとあらゆる電気製品と繋がり、人工衛星をのっとって真鈴を探す。真鈴は日本人排除の空気が渦巻くロンドンでロリコン男ロビンの婚約者にさせられ地下室に監禁されていた。地下室を出て砂漠をさまようふたりの元へ真悟は人工衛星を墜落させ、ロビンを殺し真鈴を救う。真鈴のメッセージを受け取った真悟はそれを悟に伝えようとするけれど、壊れてアームの先だけの身体になった真悟は「アイ」の字だけしか書き残すことができず、悟はそれが真鈴のメッセージだとは気づかなかった。真悟は命を落とす最後の瞬間に悟と真鈴が遊ぶ幻を見る。

……って、ざっと要約してこんな感じでしょうかね。舞台版ではいきなり東京タワーのてっぺんのシーンから始まって、原作で3〜4冊分くらいはあったそこまでのエピソードは途中の回想シーン1つにまとめられてましたね。色々ばっさり省略されてる割に意外なシーンが残っていたりもしました。原作を知らずにストーリーを追おうとするとちょっと迷子になりそうな気がしなくもありません。それぞれの場面の演出は前衛的で面白かったりもするので、原作を予め読んでから見たほうが「あーこの場面はあそこね、はいはい」といった感じで演出手法の面白さを楽しむことに集中できるのではないかなと思いました。

ミュージカルと言っても東宝や四季がやるようなタイプのメロディアスで歌い上げるタイプの楽曲で構成されているわけではなく、歌は少なめで全体的にオルタナティブロック系の楽曲が多いような気がしました。舞台上手にオープンリールデッキが3台ならんでいて、装置かと思いきやこれが楽器。オープンリールを操って様々な音を出して演奏するアーティストOpen Reel Ensembleの三人の動きもパフォーマンスの一部といった感じでこれはこれで面白いなあと思いました。ダンスもかなりコンテンポラリーなタイプの振付。漫画をめくる映像や幾何学的に配置した人間のパフォーマンスの映像なんかが背景に流れたりして、全体的に実験的・前衛的な総合パフォーマンス・アートといった感じの作品でした。原作の絵のようなおどろおどろしさはだいぶ薄まり、もう少しポップでカラフルな現代アートの雰囲気になっていました。演出家がバンドデシネの国の人だからでしょうかね。

真悟をどうやって表現するのかと思っていたら、ロボットアームの装置をダンサー3〜4人で動かし、かつ、そのモノローグや心象風景は役者の成河くんが演じる、といった手法でした。だんだん壊れていって最後はアームの先だけになるとダンサーがひとりで表現するのですが、身体の一部だけになりながらも悟に言葉を伝えようとするその動きが切なかったですねえ。そして自我に目覚める場面や装置に登る場面の成河くんの動きがまあすごい、まるでシルクドソレイユ。身体能力の高さを存分に発揮していました。悟を演じた門脇麦ちゃん、真鈴役の高畑充希ちゃんもふたりとも良かった。子どもならではの純粋さとそれゆえの危うさ、そして「否応なしに大人になってしまう」ことへの焦燥感ともどかしさ、すごくよく出ていたと思います。

まあしかし言葉を尽くして説明してもなかなか舞台で起こっていたことを伝えるのが難しいタイプの作品でしたね。後から映像で観ても舞台の全体像はなかなか伝わりづらいんじゃないかという気がします。個人的にはすごく面白く観ましたし、客席の反応も良かったように思いますが、これはダメな人にはまったくダメな作品だろうなーという気も。ミュージカルファンよりはパフォーミングアート好きな人や、串田和美さんや野田秀樹さんなんかの演出が好きな人のほうが受け入れやすい作品かもしれないなあと思いました。

ちなみにこの原作の書かれた80年代はまだインターネットがなかった時代で、パソコンは基本的にスタンドアローンだった頃なんですよね。今だと真悟が世界中の電子機器とつながるのってなんとなく納得しちゃいそうだけど、この当時では超常現象だったはずで、そう思うと真悟のパワー怖いわーと思ったりもしますね。あと真鈴がメッセージをマシン語みたいな数列で悟に伝えるのも懐かしいなと思いました。それと真鈴が地下に閉じ込められたときに「外は戦争で誰もいなくなってしまった。この世には僕と君しかいない」みたいなことを言うんですが、今の若い人が聞くと無茶苦茶言ってるなと思うんでしょうけれど、当時は「いつ東西冷戦が悪化して核兵器で世界が終わってもおかしくない」みたいな空気感が肌感覚としてあったんですよね(だから終末後の荒廃した世界を描いたSFが多かった)。そういう昔の空気を色々と思い出す内容だったなーと、おばはんはノスタルジーにひたりながら思いました。(なにせ出て来るパソコンがPC98とかFM7とかで20数万した時代の話ですからね!)


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