八月納涼歌舞伎 第三部「野田版 桜の森の満開の下」

私が演劇ファンになった頃には野田秀樹氏率いる「夢の遊眠社」は既に解散していて、もはや伝説となった舞台を観るのは残された映像しかありませんでした。「贋作・桜の森の満開の下」を観たのは大学の視聴覚室にあったビデオ。14インチの小さなTVで観る映像とはいえ、毬谷友子さん演じる夜長姫の「声」がとにかく印象的な作品で、後にも先にもこの時一度しか映像をみていないはずなのにあの夜長姫の声が耳に焼き付いて離れませんでした。桜の森の満開の下、耳男が夜長姫の遺体に打ち掛けをかけた瞬間にふっと夜長姫が消えてしまうあの場面の、永遠に続くと思われる虚無感と美しさと哀しさが、いつまでも目に焼き付いているのでした。まだ二十歳そこそこの時に観たので物語の大半は理解できていなかったのですが、それでも気が遠くなるほど美しく残酷で果てのない物語に、演劇とは空間の3次元だけでなく永遠という4次元も表現できるジャンルなのだと気づかされた気がしました。もし生の舞台に間に合っていたら、きっと生涯のベスト3に入る作品になっていたんじゃないかと思うのです。

中村勘三郎さんが生前この作品を玉三郎さんの夜長姫で歌舞伎座にかけると聞いた時はそれはもう興奮したし、それが実現したら名作になること間違い無しだ、とずっと心待ちにしていました。なんなら妄想しすぎてもう既に観たような気分にすらなっていましたが、なにかの巡り合わせが悪かったのはそれはついに実現することがなく、勘三郎さんがお亡くなりになってしまった後は「これでもう歌舞伎版の桜を観ることはできないのか」と観劇仲間とそのことを繰り返し嘆いてきました。しかし、2015年の「歌舞伎NEXT 阿弖流為」を観た後は「あの七之助さんならきっと夜長姫ができる、勘九郎さんも耳男に適任だ」と盛り上がったし、野田地図「足跡姫」を観た時も舞台上の桜に野田さんと勘三郎さんの約束を見た気がして「これは野田さんがいよいよ歌舞伎版の桜をやるってことなのか、それともコレをもって桜への思いにケリをつけてしまったのか」と喧々諤々したものです。要は、私と友人たちは歌舞伎座で「野田版 桜の森の満開の下」を観ることをこの10年近くもはや悲願として胸に抱いてきたわけで、6月にこの演目が発表になった時はそりゃあもうみんなで叫んだし泣いたし、初日が開くのをカウントダウンしながら心待ちにしてきました。

前置きが長くなりましたが、そんなこんなで大きく膨れ上がったもはや数年分の期待値。なんだかもう妄想が先に肥大してしまって現実にがっかりしたらどうしよう、とまで思っていましたが。いやー。全ッ然! 大丈夫! でした!
というか期待通りのその上を行く七之助さんの夜長姫。すごい。20年以上ぶりに夜長姫のセリフの声が耳に上書きされました。新国立劇場で上演されたときの深津絵里さんだってそりゃあ悪くは無かったけど、でもでも。七之助さんの無邪気で残酷な夜長姫の澄んだ高い声と、鬼に変貌した時の凄みのある声に惚れ惚れ。

「今日でなくっちゃいけないのかい」「今日でなくちゃいいけないわ」

「キリキリ舞いをはじめたわ。ほらあすこ!みーつけた!」

「さよならのあいさつをして、それから殺してくださるものよ」

「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」

「ねえもしも、また新しくなにかを作ろうと思うのなら、いつも落ちてきそうな広くて青い空を吊るして、いま私を殺したように、耳男、立派な仕事をして」

耳に焼き付いて忘れられなかった数々のセリフが、最高の音で聞こえてくるこの歓び。あれはもう完璧じゃないですか? そして最高のやつじゃないですか? 私たちの期待を最高の形で具現化してくれた野田さんや七之助さんはじめ、この歌舞伎座のカンパニーにもはや、感謝しかない、といったところです。

夜長姫の七之助さんが良かったのはもちろんなんだけど、他の役者さんも見事で。耳男の勘九郎さんはもちろんのこと、オオアマの染五郎さんやマナコの猿弥さんもすごく良くて、キャラ的にもビジュアル的にも耳男・オオアマ・マナコのトライアングルな対称性がすごく良かった。小屋いっぱいに蛇を吊るして生き血を木にかけながら弥勒≠バケモノを掘り続けたアーティストの耳男、壬申の乱を起こして政権をとりまつろわぬ民を鬼と呼んで国境を制定した為政者のオオアマ、生き抜くことに貪欲で機を見るに敏な俗物・マナコ。もうこれが決定版でいいんじゃないかというキャスティングだったと思います。(大海人皇子天武天皇を演じた染五郎さんが「北の境が定まった!」と言った瞬間にはその北の境の向こうにいる鬼が後に阿弖流為を生む蝦夷なんだよなぁ〜、と思ってふふっとなりました。それにしても染五郎さんはカリスマ性のあるリーダー役がお似合い!)奴隷女のエナコを演じる芝のぶさんと夜長姫・七之助さんの対称性もよかった。高貴でひたすら無邪気な夜長姫の残酷な笑顔と、奴隷としての卑しさから来る残酷さと邪気をたたえたエナコの笑み。同じ女形の笑顔でもこんなにも表現の幅があるのだなーと。

セリフが七五調になってる以外は戯曲に大きな変更はなかったように思います。それだけに前半は特に情報量の多さに混乱して戸惑う観客も多かったんじゃないかと思うのですが、それでも「物を創るアーティストの業」の縦糸と「オオアマ(大海人皇子天武天皇)のクニヅクリの物語」の横糸がはっきりする後半からの、鬼と化す夜長姫の凄み、そして耳男と夜長姫ふたりの悲劇。あれはもう本当に演劇としてのダイナミズムがこれでもかとやってくる場面で本当に素晴らしかったです。野田さん仕込みの耳男のか細い泣き方は切ない気持ちで胸を締め付けられるし、打ち掛けをかけたとたんに夜長姫が消えてしまうあの演出も初演そのまま。いやー! 観たいものが! 全部! ちゃんと! 観られた! という歓びでいっぱいです。最高でした!