「ファインディング・ネバーランド」@シアターオーブ




2015年のトニー賞授賞式で、作品賞にノミネートはないものの大人気作品だということで名場面のパフォーマンスがあった「ファインディング・ネバーランド」。gleeのシュー先生ことマシュー・モリソンが歌う「Stronger」の曲といい演出といい見事な滾りっぷりで「ああーこの作品観たいなあ!」と楽しみにしておりました。半年前のチケット最速先行で申し込んでこの日がくるのをジリジリと待っていたのですが、ついに、観ることができました!

物語は「ピーターパン」誕生の前日譚。スランプ状態だった劇作家のJ.M.バリが、未亡人シルヴィアとその家族と出会うことで自分の中にあった物語に気づき、それを形にしていく物語。今となっては「ピーターパン」は「当たり前に生まれる前からそこにある物語」となったあまりにおなじみの話だけど、当時の演劇界においては「ワニが時計を飲み込む」「海賊と妖精が登場する」物語などあまりに荒唐無稽。子供だましだと不平たらたらだった劇団員たちも「芝居はPLAY、PLAYは遊び」とごっこ遊びに興じた子ども時代を思い出し、バリの物語を受け入れる。身体を壊し劇場には来られないシルヴィアのためにバリたちの一座は彼女の家で「ピーターパン」を上演することにして……という展開。

いや、もうなんというか、冷静にこの作品を語る言葉が私には見つかりません。
ただひたすらに美しいものを観た、何かとてもキレイなものの純度の高い結晶を観た、そんな気持ちです。
子ども時代に空想やファンタジーの物語の中で過ごした時間のある方は間違いなく心を打たれるんじゃないでしょうか。その上、大好きな芝居のバックステージ物という設定、クリエイターたちの強い思い。子どもたちが楽しそうにセッションする歌と演奏の眩しさ。想像力が生み出す創造力、見立てを多用した演出。そしてなんといっても魅力的なメロディと楽しい演出が生み出すミュージカルの魔法。そういう大好きな要素が次から次に琴線にクリティカルヒットして、「まだ泣くような展開じゃないよ!?」という前半からもうすでに涙腺がぶっこわれていました。

演出がとても素敵です。シルヴィアの息子たちのベッドルームはまるでピーターパンのウェンディたちの寝室のよう。前半、子どもたちが大人のリフトでふわりと宙に浮いた瞬間になんだかもう感動のスイッチが完全にオンになってしまいました。バリがフローマンからも妻からもシルヴィアの母からも追い詰められてしまう「Circus of Your Mind」のナンバー、展開的にはしんどい場面なんだけど、ダンサーたちの持つステッキとドアのセットがみるみるうちにメリーゴーラウンドになってくるくると回りだした時に「うわー!もう!大好き!」って思いましたね。曲も好きなんだけど、こういう身近なアイテムを何か他のものに見立てる演出が大好き過ぎて。さらにそこからフック船長が登場してのバリ覚醒ソング「Stronger」、海賊たちが船出の準備をするパフォーマンスに乗せて高らかに歌い上げられるこの曲! 公園のベンチが船の舳先になり、そこで剣を掲げて歌い上げるバリ。曲調といい演出と言い、もうこれが滾らずにいられようかというほどの高揚感! ウワー! もう最高! 

そして後半、ロープで吊るされたちょっと太めの俳優のフライング試演でちょっと笑いで和ませつつ、続く「What You Mean To Me」のデュエットの美しさがね!劇場の舞台に灯るゴーストライトとそのシルエットの演出が素敵だし、美しいメロディにのせての「右から二番目の星を目指して朝まで進もう」の歌詞の美しさでまた泣いて。続いての酒場のシーン、不平たらたらの俳優たちが「芝居はPLAY、PLAYは遊び」だということに気づいて子供の頃のごっこ遊びを思い出して盛り上がっていく場面、ここも好きでした。しかもここで歌詞に登場するのがマザーグースなんですよね! 堀内誠一イラスト&谷川俊太郎訳の「マザーグースのうた」の詩集が好きで子供の頃に読んでた記憶が最初のフレーズからもうブワーと出てきましてね。あの可愛らしさと残酷さとポップさとうすら怖さが入り混じった歌詞が好きで何度も繰り返し読んでたんですけど、「子どもは怖いものが好き」ってどっかで出てきたセリフとも合致してなんかまた泣きそうになったりですね。そう、子どものころに物語やファンタジーで心を埋めてた人種にとってはこのファインディング・ネバーランドの物語って心の琴線ぶん殴りポイントが多すぎなんですよね。なんかもう上演時間のうち半分くらいは涙目で観ていましたよ。

ピーターパンの舞台は無事成功、でもシルヴィアはせっかくの初日にも駆けつけられないほどに体調を崩していて。バリバリに死亡フラグが立っていてどうしようこれ……と思っていたら、バリとフローマンの一座がシルヴィアの家を訪れ、子どもたちのベッドルームでピーターパンを演じてみせます。そして、ここで「シルヴィアの死」という最も悲しい瞬間が訪れるのだけど、それが魔法の粉が舞う中でピーターパンに誘われネバーランドに旅立つという演出に、もう嗚咽をこらえるのに必死でした(なんなら思い出してこれを書きながらまた目の幅の涙を流してます)。人の死をこんなにも美しく優しく表現した作品があったかな、と思うほど。金粉の舞う中、ピーターパンとウェンディのように窓から飛び出していくふたり。そして部屋では残ったシルヴィアの上着だけがふわふわと風に舞っている……という絵の美しさ、忘れられません。

終演してもしばらくのあいだ涙が止まらなくて、渋谷から横浜までの電車の中でもまるで何か不幸があった人みたいにずっとグズグズグズグズ泣いてました。物理的にもうどうやってももうリピートできないのが本当に残念。家に帰ったら目は真っ赤だしまぶたは腫れぼったいしでひどい顔になっていました。こんなに舞台観て泣いたことあっただろうかというくらい、なんだかとても心の柔らかい部分に触れられた作品だったと思います。舞台を舞うティンカーベルの「明かり」が、心の中に入って光を灯しているような、そんな気分でした。でもそれをなんという言葉で呼んだらいいのか、うまい言葉が見つかりません。この舞台から受け取ったものは、「感動」とかそんな陳腐な言葉ではうまく言い表せない何かでした。「大人になって忘れかけていた子どもの心を思い出す」なんていうとひどく手垢のついた言い回しでどうかと思うのですが、これは「大人になってすっかり図太くなり忘れてしまっていたけど、その分厚いかさぶたの下にかつてあった繊細で感受性豊かでガードの弱かった頃のたいへんナーバスな心」を思い出させる作品でもありました。そして、愛する人を喪う時に訪れる哀しみを和らげ、明日に立ち向かう勇気をくれる、そんな物語だったと思います。

うう、なんかもうあの美しい舞台の感想がこんな陳腐なテキストでしか書けないなんてね。自分の文章力の無さを呪いますね。本当に言葉にならないキレイな何かだったんですよ。



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ここからは余談で、ちょっと下世話な話になります。
わたしはミュージカルの「ピーターパン」を大人になってから舞台で2度観てまして、というのもフック船長役が古田新太さんだったり橋本じゅんさんだったり、という大変ヨコシマな理由からなのですが。「あっピーターパンてファミリーミュージカルとはいえ結構面白いな!」と思いつつも、一方で「作者の歪んだ性癖が発露した話」だと思ってたんですよ。だって「永遠に大人にならない少年」が「ウェンディを別世界に拉致監禁」して「僕のお母さんになってよ」と言い出し、ウェンディが現実世界に戻って母親になったらウェンディに用はなくてその娘をさらいに来るんですよ?(いやーロリコンー!)てっきり「本当は怖かったピーターパン」だと思っていましたよ。いやー本当にすみません。ファインディングネバーランド観たら、そうかーピーターが大人になりたくない理由そこだったのかー! とか、ウェンディがシルヴィアだからお母さんかー! とか、なんだかいろいろ符号して、なんかバリさん本当にごめんなさい、と心の中で全力土下座です。歪んだ大人って! やあね!