「ロケットマン」

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エルトン・ジョンの半生をタロン・エガートンの主演で描いた音楽評伝ミュージカル映画。ノーマークな作品だったのですが、周辺でやたら評判がいいので見てきました。いやーよかった! いい作品でした。どうしてもクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」と比較して語られることが多い感じはありますが、印象としてはまったく別物ですね。「ボヘミアン~」はどちらかといえばドキュメンタリータッチに寄った感じの映画だと思いますが、「ロケットマン」はエルトンが依存症に陥っていくあたりの酩酊する感じを含めて内面や心情をミュージカルの手法で描いた映画だったと思います。個人的には「ボヘミアン~」よりも「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」を思い出したりもしました。派手な虚飾で自分をガードしていくあたりの心情に共通するものがあったように思います。

 

 

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世代が世代なのであんまりエルトン・ジョンには詳しくなくて、1~2世代上のヒットメーカー、ライオンキングやビリーエリオットなどのミュージカルの作曲家、くらいのイメージしかないのですが。衣装が派手でおかしい、というのもキングスマン2で初めて知ったほどで……。そんな私でもどこかで何度も耳にして口ずさめるようなヒット曲がいくつもあり、映画も楽しむことができました。なにせあの作詞家のバーニーとの関係性がエモっエモにエモくてですね。ふたりがであったお店でのやりとりから、あっという間に意気投合して、そしてあの名曲「Your Song」に至るまでの流れ、本当に「尊い……」としか言いようがないですね。あのお店で意気投合していくエピソード、きっとふたりともすごく鮮明に記憶にあるんだろうなあ、ってそんなことを思いました。親しい人にしか本名は呼ばせない、といってたエルトンがあっという間に本名を口にしちゃうのも最高だし、バーニーの歌詞を一読するだけであふれるようにメロディが湧き出すのもドラマティックで。必然的にエルトンはバーニーに思いを寄せるんだけど、バーニーは異性愛者で、エルトンの恋愛感情は受け入れられないんだけど、でも軽蔑したりせず親友としてずっと長年エルトンを支えて、作詞家としてはエルトンのミューズで……ってさ、もう本当にどうにもならない切なさ込みで最高オブ最高でしたね……。エモい……。

しかしウキウキの場面だけでなくかなりしんどい場面も多い映画でした。特にお父さんとのエピソードがしんどかった……。「甘えるな」とハグすらしてもらえない子供時代……レコードに触るなと父親が怒る場面、私もブルーレイの盤面に触るなってよく怒っちゃうから胸が痛かった!!反省!!(でも10歳になる娘にも毎日ハグはしてるから許して!)そして売れっ子になってから会いに行って、サインをしようとしたら親にじゃなくてその友人の名前を書くように言われたり、あんなにハグしてくれなかった父親がしれっと腹違いの弟を抱き上げてるのを見てしまったり。あそこもうほんとしんどくてつらかった……。母親も母親でゲイであることを電話口で告白したら、「ずっと前から知ってたわ」っていうから受け入れてくれてたのかと思いきや、「愛されない孤独な人生を選んだと思いなさい」って……つらい!痛い!つらすぎて心が死ぬかと思いましたよ……。ビリーエリオットの映画を見て父と子の関係に感動したエルトンがこのミュージカル版の作曲を引き受けた、というエピソードも今回どこかで見かけましたが、エルトンジョンがほしかったのはあのビリーエリオットの父親の理解だったんだろうなあ、って思ってしまいましたね。バレエの魅力を理解する心は持たなくても、息子の気持ちを理解してその才能を応援してくれたお父さん……を思い出して、ちょっとまた泣きました。

 

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やーそれにしてもタロンくんお歌うまい!「SATURDAY NIGHT’S ALL RIGHT FOR FIGHTING」のワンカットミュージカルシーンすごかったですね。バーを飛び出して遊園地で歌って踊ってまたバーに戻るシーン、高揚感と興奮がこれでもか!と伝わってくる名シーンでした。どうやって撮影したんだあれ。

エルトンジョンが男性と結婚したニュースはさすがに聞いていたのでそこが最後の救いになるのかな、と思いながら見ていたのですが、本編のラストはバーニーとの絆を取り戻す場面まで。そこから後の私生活のエピソードは字幕のみの紹介でした。本人が監修していてなお「私生活のパートナー」よりも「仕事上のパートナーであるバーニーとの関係」をメインに持ってくるのだから、この絆は相当だな……と思ったりしました。もちろん家族でありパートナーである男性が大切でないということではないでしょうけど、それでも、エルトン・ジョン自身も自分の人生を振り返った時にバーニーの存在が果てしなく大きいのだろうな……とちょっと思いましたね。

冒頭にもヘドウィグを想起するとちょっと書きましたが、なんていうんでしょう、「完全なる魂の片割れ」を探して永遠に彷徨い続けるヘドウィグと違って、エルトンジョンは「創作上での片割れ」と「私生活のパートナーとしての片割れ」を別々の人間の中に見出すことで、現実と折り合いをつけたんだな……と、そんなことをふと思った帰り道でした。