NODA MAP「Q:A Night At The Kabuki」

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出典:SPICE

 

野田地図新作。ネタバレを避けてざっくり雑感だけ言うなら「オイル」「ロープ」「エッグ」あたりとテーマが共通する作品だったように思います。ただ「ロミオとジュリエット」がベースになってるだけに、前述の作品群と比べると強烈な怒りというよりは悲しみや切なさが際立つような後味でした。紙飛行機と手紙のモチーフが演出的にすごく効いてて切なかったです。松たか子上川隆也のコンビがすごく良かった。新感線出身・橋本さとし羽野晶紀の出演も嬉しいところ。巴御前の人すごくいいけど誰?2階席からではよくわからない……と思ったら伊勢佳世さん! イキウメの時と芸風が違いすぎて気づけませんでした。

 

以降、最後までネタバレしますので観劇前の方は読まないでくださいねー。

 

 

歌舞伎「俊寛」を思わせるオープニングから始まって、前半の主旋律はほぼほぼ「ロミオとジュリエット」でした。源平合戦の時代の日本を舞台にモンタギュー家とキャピュレット家は源氏と平氏におきかえられていました。「それからの愁里愛(じゅりえ)」と「それからの瑯壬生(ろうみお)」、つまり成長したあとのジュリエットとロミオが出てきて若いふたりが行き違いで死なないように奔走している、という枠組みはありつつも、話の展開はほぼほぼロミジュリ。正直なところ前半は「野田さんにしちゃあロミジュリそのまんまだな?」「野田さんの芝居みるような人はロミジュリの展開知ってる人が多いだろうから、もうちょっと刈り込んでさくさくすすめてもいいんじゃないかな?」とちょっと退屈する部分もありました。クイーンの曲をたっぷり使ってるからかやや展開がゆっくりだなあと感じたり。まあ今回はクイーンの曲を使うというのがそもそもの主題だからそこは外せないんでしょうけれど、野田さんの芝居にしては間延び感が……と思ったのが正直なところでした。音楽の使い方も劇伴としての使い方の粋を出ないと言うか、特に出演者に歌わせるということもなく音楽劇という感じでもなく……まあフレディの声で刷り込まれてるクイーンの楽曲に変な日本語詞つけて歌われるよりはいいのかもしれませんが、それでも、「うーん??これ面白くなるのかな?」と思って正直乗り切れなかったのが前半でした。

ただ後半、「ロミオとジュリエットのふたりがあの物語通りに死なずに生き延びた先の物語」に入ると一気に引き込まれていきます。死ななくてよかったね、ハッピーエンドだね……なんて安易な展開になるわけもなく、ふたりはさらに過酷な運命に巻き込まれてしまいます。戦場で負傷した瑯壬生が運ばれた野戦病院では尼僧たちの看護師がけが人の面倒をみているわけですが、身元がバレて殺されそうになる瑯壬生の姿がほとんど中東テロ組織の処刑動画を思わせる演出だったり、尼僧の頭巾がいつのまにかニカブになっていたり……と一気に背筋が凍るものになっていきます。なんとか処刑を免れたものの瑯壬生が送られたのは滑野(すべりや=シベリア)。捕虜となった瑯壬生たちの生活は戦後のシベリア抑留そのもの。延々と繰り返される日常の描写が凄まじく、最初は故郷のことを思っていた捕虜たちもだんだん黒パンのことしか考えられなくなっていくこと、そしてひとりひとりぱたりぱたりと死んでいき、死体が無造作に運ばれていくこと。この辺、「逆鱗」のときの特攻出撃シーン兵の描写に似ていますね。私も祖父がシベリア抑留中に亡くなってしまっているので、いろいろ思うところがありました。

何も書いていない白紙の手紙の理由は検閲を避けるため、そしてそれを届けた平凡太郎(竹中直人)が記憶してきて紡いだ瑯壬生の言葉。ジュリエットの「私のためにその名を捨てて」の言葉が「名もなく死んでいく兵士=平氏」の瑯壬生の気持ちにずっと残っていたこと。凡太郎は「瑯壬生はもう愁里愛を愛していない」と思ってその言葉を伝えるのに30年迷ってきたけれど、愁里愛は瑯壬生の気持ちを受け止めて……という切なく泣ける場面なのだけど、最後の最後で戦場で無造作に積まれた死体がなだれおちてきて、瑯壬生の死体もそこへ打ち捨てられることで、ゾッとする後味の幕切れとなりました。展開に打ちのめされるあまりちょっとカーテンコールの拍手をする気になれない、そんなラストだったように感じました。

終わってみれば「いつもの野田地図(いい意味で)」だったのですが、クイーンの楽曲の使い方については効果的だったかどうかはちょっと私には判断できません。歌詞がちゃんとわかっていれば刺さる部分もあったのでしょうけれど。あとやっぱり後半は良かったけど前半はもうちょっと刈り込んでも良かったな、必要な長さだったかどうかはちょっと疑問だな、というのが正直な感想でした。