ミュージカル「フランケンシュタイン」@日生劇場

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出典:Twitter @toho_stage

 

ゴスな衣装とメイクに惹かれつつも見逃してしまった初演。このたび再演となったので今度こそはとチケットを取りました。作品も未見だし主要キャストも全員知ってるわけじゃないし、Wキャストの組み合わせをどうやって選んだらいいのやら……と頭を抱えつつも、とりあえず歌のうまさには定評がある中川アッキ―と、顔の良さには間違いがない加藤和樹の組み合わせをチョイスしました。

しかし評判をぐぐればぐぐるほど賛否両論というか、「虚無」とこきおろされる一方で、何度もリピートして考察を深めるヘビーなファンがいるなど、なんでこんなに評価が別れるのか……と不思議に思っておりました。しかし実際に観たら謎が氷解したというか、「うむ、これは賛否がわかれるな!」と納得の舞台でありました。

なんでかって、曲と設定はすごくいい、傑作になりうるポテンシャルがあるにも関わらず、脚本と演出がガバガバ、というか、ちゃんと点と点を線でつないでない……という印象の作品。なんというか視覚的な物量的にも、脚本の解釈的にも「ちゃんと埋めてない」感じがするんですね。急展開する場面が多すぎてツッコミどころが満載。セットももうちょっと予算かけてくれないともったいない、中途半端なセットにするくらいならいっそ素舞台でやったほうがいいんじゃないかと思うほどの簡素ぶり(あまりに簡素すぎて実験室の機材がアンリに壊されていたことに2階席からでは見た目で気づけませんでした……セリフでやっとビクターがショックをうけてる理由に気づくレベル……)。韓国版はかなりお金のかかった美術だったらしくてそっちで観たかったなあと思いました。もっとゴッテゴテのゴッスゴスな美術だったら絶対楽しいのになあ!と。

キャストの演技も、とても良い芝居をしてる人もいれば、「この人はこの役のニンではないな」「あまり役を演じ切れてないな」と思う人もいる……という感じでした。名指しはしませんが、もうちょっと本気で役に取り組んでくれよ……そんなスカスカな芝居してないでもうちょっと稽古場で役を深めてきてくれ……と思ってしまうような芝居をしている役者さんもいました。ううあのひとはもっと芝居できる人だと思っていたのにどうして……

ただ一方でどハマりしてしまう観客の気持ちもよくわかる。私も時間と金に余裕があればもう一方のキャストの組み合わせでリピートしてただろうし、下手すりゃそれに飽きたらず組み合わせを変えてWキャストを計4回見る、くらいのことはしてもいいなと思いました。なぜって、ビクターとアンリ、そしてビクターと怪物の関係性が最高にエモいからですよ。もしも私に絵心があればこの設定だけで死ぬほど同人誌が描けるな……と思いましたよね。「危うく殺されそうになったところをビクターに救われたアンリ」「ビクターを救うために自ら罪をかぶって処刑されるアンリ」「そのアンリの死体を使って禁断の人体蘇生を成功させるビクター」「しかしアンリであるころの記憶を失ってしまった怪物は、自分を異形の者として生まれ変わらせたビクターを殺したいほど憎む」「アンリを追いかけて来たビクターが誰もいない北極で決着をつける」ってもうどこからどう切ってもおいしく薄い本が描けるやつじゃないですか……。どんなに脚本と演出がガバガバのスカスカであっても、このふたりの関係性が性癖にささる人間にとっては、脳内で本編舞台の2~3倍の物語が高速で展開しますよね。点と点さえあればあとはこっちで好きに線引いて埋めてやらあ、くらいの気持ちになりますよ。だってアンリが死ぬ前に歌う歌がこうですよ。「君に出会った瞬間 夢見るその瞳に僕は恋をした」「死んでも後悔しない 全てを捨てても君の夢の中で生きられるなら」アーーーーーーーーー!誰か!薄い本を!薄い本を早く!言い値で買おう!

 ラストの北極の場面なんかもうなにもない素舞台でしたけど、一面の雪原と遠くが見えないほどの吹雪の中という美術を脳内補完しましたよね。誰もいない雪原に吹き荒れる吹雪、その中で命のやり取りをする男ふたりの愛憎劇……なんかもうどっちかというと、役者の芝居よりも脳内に浮かぶ二次絵と詩的モノローグを観ていたラストシーンだった気がします。