宝塚月組『グレート・ギャツビー』

宝塚歌劇団公式ホームページより ポスター画像

公演中止でほとんどの公演が中止となってしまっている宝塚大劇場月組公演ですが、運良く開幕2日目の公演を見ることができました。
初演のグレート・ギャツビー井上芳雄さん主演の舞台は見ていませんが、瀬奈じゅんさん主演の2008年日生劇場の舞台は見ています。その時は「そんなに好みの作品ではないが瀬奈さんがとにかくかっこいいな…宝塚のスーツ芸のかっこよさってこういうことか」と思ったのを覚えています。当時はまだ原作も読んでないし映画版もみていない状態だったので作品に対する解像度が低かったと思います。

今回の「大劇場一本物ギャツビー」は華やかなギャツビー邸のパーティーシーン、もぐり酒場アイスキャッスルでのスタイリッシュなダンスシーン、ジークフェルド・フォリーズの華やかなレビューなど、小池先生らしい人海戦術の華やかな場面もあって見応えがありました。宝塚らしく華やかにショーアップした場面もありつつ全体的にはほろ苦い大人の物語が展開する感じですね。

今回改めてこの「小池修一郎バージョン」のグレート・ギャツビーを見て思ったのは「ラストの解釈は原作の印象とはだいぶ違う気がする」けれど「日本でこの作品を上演するならなるほどこれが最適解かもしれない」という感じでした。
原作の印象も人それぞれだとは思うのですがなかなかに後味の良くない話というか、すっきりしない話だなーというか、言ってしまえば「胸くそが悪い話」という印象だったのですよね。ジャズエイジの当時の空気感を知らないのでこれが当時どうして熱狂的に受け入れられたのか最初はピンと来なかったのですが、バブルの狂騒に湧く日本でノルウェイの森が大ヒットしたようなものだと思えばまあなんとなくわからないでもないです。浮かれた時代の空気に対する虚無感の投影というか。

ラストシーンは原作と印象が違ってて虚無や後味の悪さよりはかなり感傷的な雰囲気が色濃い感じで、「原作ファンはこの終わり方でいいのかな?」とちょっと思わないでもないのですが、原作を知らずに見る人にとってはわかりやすく飲み込みやすい終わり方になっていたと思います。小池先生もプログラムで「日本人のセンチメント」が織りなす舞台、というような内容のことを書いていてなるほどと納得しました。

もうちょっとラスト詳しく描くと、ギャツビーが死んでからのエピソードは「ニックと父親以外は誰ひとり弔いに来ない」という原作と違って、トムの車でやってきたデイジーがギャツビーの墓に一本だけ花を手向けて、でも泣き崩れるような姿を見せるでもなくトムの車で去っていく…と、少し改変が加えられています。割り切れないほろ苦さの中にも、ギャツビーへの弔いの気持ちを見せるデイジーと、それをタバコを吸いながら待つトム(金持ちの余裕を見せているのか、妻の罪をかぶって死んだギャツビーへの感謝の気持ちがわずかにあるのか…そこは見る人の解釈次第ですが)のふたりの行動が、原作と違ってほんのわずかではあるものの救いを感じさせるものになっています。またその後、子ども時代のギャツビーが自分へ課したタスクを読み上げるところで、「ギャツビーが勤勉で努力家であったこと、目標を達成することに対して真剣であったこと」を強く印象づけ、彼の生き様を肯定する雰囲気で物語をたたむ…という感じでした。原作と違ってかなり感傷的ではあるのですが、後味の悪くない終わり方になっていますね。

感情移入できるキャラクターはニック(風間柚乃)くらいしかいないものの、ギャツビー(月城かなと)もデイジー(海乃美月)もトム(鳳月杏)も「共感はできないけどそのキャラの中の筋は通っている」という感じで、ちゃんと人間ドラマとして見応えありました。ギャツビーの月城さん、芝居も歌もうまい…! 一途といえば聞こえはいいけどうっすらストーカー気質というか、目的のためには手段を選ばない感じのガンギマリ感があるギャツビーなんですよね。うっすら粘着質のストーカー心と思い込みの激しい狂気が滲んでいると言うか。冒頭のニックとのやりとりも若干変人だし、「大丈夫?このギャツビー少々怖くない?」と思いながら見ているんだけど、この役作りがあるから終盤のデイジーの事故の罪をかぶるところがすんなり飲み込めます。ギャツビーが経歴詐称したり反社会的な仕事をしてることを知ったデイジーがいったんギャツビーを拒絶するのに、彼がデイジーの罪をかぶろうとしたところで「ひどいことを言ったけど本当はあなたを愛してる」みたいなセリフ(うろ覚え)を言うんですが、観客のほとんどが「調子のいいこと言って…」と思いかけた瞬間にギャツビーが「このひとことを聞くために生きてきた!」「我が生涯に一片の悔いなし!!」みたいな満たされた顔するんですよね。ああ〜ギャツビーがそう思ってんならしょうがねえ〜!付ける薬ないわ〜!みたいな気持ちでこっちも納得することになるんですよ…。まあそんなうすらキモい主人公像ではあるんですが(注・そういう解釈として大正解だと思って褒めてます)、スーツ姿がいちいちかっこよくて、特にアイスキャッスルのグレースーツはほんとしびれましたね。マスクの下でニヤニヤしてしまいました。(でもデイジーと再会するときに選んだピンクのスーツだけは、いくらなんでも浮かれすぎや…!と思いましたが)対岸を見つめる後ろ姿、白スーツの背中で語る男役!ほんとカンペキでしたね…。

鳳月さんのトムも良かったですね。ギャツビーと違って初めから全てを持っている貴族で、まあ平気で浮気したりもするんですが貴族社会で生きる者としての筋が通っているというか、自分のメリットにならないものに対してはなんの執着もなく息をするように切り捨てるあの冷酷さがしびれる。まさに家父長制の男、白人至上主義者、という感じで現代の視点から見ると絶対に結婚したくはないけど、当時の世界においてはこれが「正義」だったのでしょうし、この世界での勝ち組ど真ん中でムカつくけどかっこいい。生まれついての貴族だけに仕草がいちいちかっこよく決まっているからずるい。ゴシップ誌に浮気現場を撮られて財布と腕時計を迷いなく渡してフィルムを受け取り、女は即座に切り捨てながらも「活躍を祈ってるよ」とサバサバした笑顔で言い残すあの態度〜!好き!

今回から三番手の風間柚乃さんもセリフの多い狂言回し的な役(なんなら二番手がやるような役)なのに、まあなんの不安もない安定感。まあ4年前に代役とはいえエリザでルキーニやったことを思えばこの程度はむしろ余裕だろう…くらいの気持ちにはなりますが。

そして専科から登場のウルフシェイム輝月ゆうまさんのイケオジっぷり…!マフィアのドンとしての存在感と貫禄!そして反社会勢力を引き連れてのアイスキャッスルでの男役群舞、かっこよすぎて目が離せませんでしたよね。いやーかっこいい…!もっといろんな組に出てほしい…!このウルフシェイム役は宝塚におけるイケオジメイクの新たな扉を開いたのでは?と本気で思いました。身体の補正どうやってるんでしょうね、ガタイが良くてかっこよかったです(これがあの雨唄のリナちゃんと同一人物とは信じられない…)。

光月るうさんのウィルソンも良かった、貧富の格差の貧のほうにいて鬱屈してる様子……マートルを閉じ込めるあたりちょっと怖いんですけど、とはいえまあ一番の被害者ですもんね。かわいそう!「ボス、フィラデルフィアからお電話ですbot」として登場する礼華はるくんも長身にスーツ似合ってカッコいい。ゴルフ場ではダサ眼鏡でチューンダウンして登場するのもおかしい。番手あがってきましたね〜がんばれ。
そして雪組から組替えの彩海せらちゃんも回想シーンのエディ役やジークフェルトフォリーズの歌手など、ストーリーに直接絡まないながらも出番多くて良かったです。
佳城葵さんのカメラマン役も良かったなー、後味の良くない金だから、とアイスキャッスルに繰り出して一瞬だけギャツビーと絡む場面の軽妙なやさぐれ感。ヤクザに使われたけど悪い人じゃないんだな…脇役にも人それぞれの人生…みたいなものが感じられる場面で好きでした。

基本的にはギャツビー月城さんの顔の良さとスーツ芸に撃ち抜かれる作品でしたが、脇を固める「芝居の月組」の芝居の確かさも素晴らしかった。大人数が舞台に出てる場面が多いので、モブ小芝居観るのも楽しい舞台でした!