「大地」@PARCO劇場

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出典: Yahoo!ニュース

 

新生PARCO劇場行ってきました〜!

客席と舞台は以前の雰囲気に近い感じで「ただいま!」という感じでしたが、ロビーは天井が高くなったりちょっと明るい感じに雰囲気が変わっていたりしてピカピカの劇場に嬉しくなりました。ロビー椅子が少ない気がしましたが、ソーシャルディスタンス対策的なものですかね? 劇場入り口やトイレ出口には靴底の消毒マットもあったり、手指のアルコール消毒もあったり、チラシの手渡しはやめて自分でテーブルから持っていくスタイルになったり、物販もパンフレットだけに限定したりなど、コロナ対策はかなり徹底されている印象を受けました。客席は一席ずつ開ける配席。うう、採算取れないですよねこれ……と思いつつも、隣に人がいないことでだいぶ集中力は増しますし、感染の心配も薄れる安心感もありました。チケットもひとり一枚の販売なので客席のざわつきもなくかなり静かな客席でしたね。携帯を鳴らす人もいびきをかく人もなく、たいへん集中力のあるいいお客さんだったように思いました。ちょうどWOWOWオンデマンドの配信公演でカメラもたくさん入っていたせいか、WOWOWのスタッフさんが山ほど来ていて、そのせいか客席の緊張感もかなり高かったような。

 

さてお芝居、設定としては次の通り。「とある共産主義国家。独裁政権が遂行した文化改革の中、反政府主義のレッテルを貼られた俳優たちが収容された施設があった。強制的に集められた彼らは、政府の監視下の下、広大な荒野を耕し、農場を作り、家畜の世話をした。過酷な生活の中で、なにより彼らを苦しめたのは、「演じる」行為を禁じられたことだった。役者としてしか生きる術を知らない俳優たちが極限状態の中で織りなす、歴史と芸術を巡る群像劇」公式サイトより)

コロナ禍の渦中にある現在、「演じることを禁じられた俳優たち」という設定はかなり刺さるものがありますし、脚本の端々にその強い思いは感じられました。作品のクライマックスで座長が「我々は一番大事なものを失ったのかもしれないな」と口にするその「大事なもの」がなにかはまだ未見の方もいらっしゃるのでこの段では伏せますが、ここで胸が熱くならない観客はいないと思うのです。数ヶ月ぶりに訪れた劇場で、この作品のテーマを受け止めたとき、心から「ああ、劇場に来て生の舞台を観られて良かった」という気持ちになりました。

ただ、作品が届けようとする熱い思いを受け止める一方で、ホンの細部に違和感があったり、脚本の都合のいいようにキャラクターのセリフが捻じ曲げられてると感じたり、女形俳優の扱いがポリコレ的にざわつく、などの気持ちも否めませんでした。作品のテーマには大いに感動しつつも、脚本の細部が雑すぎて興醒めしてしまい苦々しい気持ちになる箇所が多数あったというか。

チャペック(大泉洋)がタバコ一本と引き換えに女形ツベルチェク(竜星涼)の身体を政府役人ドランスキー(小澤雄太)に差し出そうと交渉してきた場面、同室の仲間全員がタバコ一本の配給を受けるのではなくチャペックだけがタバコを一本もらえるような話だったと思うんですが(違うのかな?みんながタバコもらえるって話だったのかな?)、しかしそれもうツベルチェクに我慢させる意味なくないですか。ひとひとりの尊厳を犠牲にして対価がタバコ一本?もちろんその対価の小ささが極限状態を表してるというのはあると思うんですが、その対価に対して誰も異を唱えないのが「ハァ?」ってなってたんですが(だって得するのチャペックだけだし、もし仮に全員がタバコもらえるって話だとしても全員がタバコ吸うわけじゃないだろうし)、さらに「女形には二種類いる、身体が男で中身が女のタイプと、努力で女形の技術を習得したタイプ、おれは後者だ」みたいなことを言ってツベルチェクが切れるセリフもあるんだけど、仮に心が女ならドランスキーに抱かれてもいいの?女には選ぶ権利ないの?女だったらどんな男に抱かれても平気なの?みたいな気持ちでザワッザワしました。ここ、ツベルチェクの扱いへの批判的な視点が全然ないように感じられたので、女性やLGBTなどジェンダー問題に敏感な層にはイラッと来る場面だなあと思いました(そういう感想もちらほら見かけましたし)。

あと「演じることを禁じられている」という状況下なのに、指導員ホデク(栗原英雄)が嬉々として自分の脚本で芝居打とうとするのもなんか違和感ありましたが、これなにか説明見落としましたかねえ。指導員のホデクが実は芝居好きでこの部屋のメンバーを厚遇してるという設定は別にいいんですが、隠れてコソコソとやろうとするのかと思ったら政府役人ドランスキーにも平気で芝居やろうとすること話すじゃないですか。なんかそのへんこう整合性的にどうなんだ???と思いました。

終盤、同室のメンバーの中からひとりだけが「ここよりも過酷な谷の向こう」に送られる罰をうけ、そのひとりを決める場面、絶対みんな行きたくない状態なのに、状況の発端になったミミンコ(濱田龍臣)、ピンカス(藤井隆)やブロツキー(山本耕史)たちが「俺がいく」みたいな状態になってるのに「お前はだめだ」「お前が行く必要ない」ってなってるのに、チャペックについては誰も異を唱えない状況もなんか違和感ありましたよね。完全に賛同はできなくてもチャペックの要領の良さと交渉力にみんないままで頼ってきたんじゃないの?と思うような描写をしてきただけに。(ここからちょっと重大なネタバレに触れますので未見の方はこの段落ごと飛ばしてください)ましてそのチャペックが座っていた箱馬を見ながらバチェク(辻番長)が「我々は一番大事なものを失ったのかもしれないな」と言ったとき、「一番大事なものは舞台監督だったってオチ?」と思ったら(そこまでバチェクが座長、ツルハが演出家、チャペックは舞台監督的な裏方、という役割分担で描かれてた)「観客だよ」とバチェクが言うんですね。ここで前述の通り「観客が俳優たちにとっては一番大事」というメッセージを受け取って胸が熱くなる一方で、「チャペック、観客だったんかい!!!!」っていう盛大なツッコミが心の中で入ってしまうのでした。スタッフとして「舞台側」の人間としてすら扱われないのか、チャペックは「客席側」の人間なのか、と思うと、なんかもうチャペックの報われなさが天元突破ですよ。かわいそうすぎないか……!

などなど、なんかこう「ああ〜私の苦手なほうの三谷さんだったなあ〜」という気持ちは正直ありつつも、各役者さんへのあて書きはとても良かったと思いました。要領がよく生き意地が汚い大泉洋さんのチャペック、しどころのあるいい役でしたねえ。三谷さんは本当に大泉さんが好きなんだな!愛されてるな!と思いました。ミミンコ役誰だっけ……と思ったら濱田龍臣さん!龍馬伝の子役の子、あんなに大きくなったのかぁーと思いました。正義感はあるが頑固な演出家ツルハ役、相島さんにぴったり。パントマイマーで軽妙に笑わせてくれるプルーハの浅野和之さんも、コメディリリーフ的なピンカス藤井隆さんもさすがのひとこと。いけすかない感じの人気映画俳優ブロツキー役の山本耕史さんも楽しそうに大スター様を演じていましたねえ。あの胸筋芸いったいどうなってるんだろう。